鎌倉女子大学は、「感謝と奉仕に生きる人づくり」を教育の理念に掲げ、「女性の科学的教養の向上と優雅な性情の涵養」を教育の目標に定め、昭和18年、学祖・松本生太先生(1880-1972)により、京浜女子家政理学専門学校として、横浜市神奈川区に創設されました。それは偏に、戦時下にもかかわらず燃やし続けた学祖の教育への情熱と今日の時代を見通す先見性に基づくものです。
戦災で灰燼に帰した学園の再建のため、創設者は、第二代理事長である学父・松本尚先生(1917-1992)と共に、昭和21年、平和を求めて800年の古都・鎌倉に新しい教育の本拠地を見出しました。第二次世界大戦の横浜大空襲は私たちの校舎を消失させましたが、私たちの教育への勇気は却って高まり、それ以来、昭和時代の京浜女子大学、平成の幕開けと共に、鎌倉ゆかりの大学にふさわしく鎌倉女子大学と校名を変更し、幼稚部・初等部・中等部・高等部・短期大学部・大学・大学院の一貫教育を行うことのできる総合学園として完成、今日に至っています。
特に最高学府は、大学院児童学研究科児童学専攻(修士課程)、家政学部(家政保健学科・管理栄養学科)、児童学部(児童学科・子ども心理学科)、教育学部(教育学科)、短期大学部(初等教育学科・専攻科)から成り、大学院・学部・学科の教育研究はもとより、付置機関である学術研究所や生涯学習センターの活動を通じて、家政学・保健学・栄養学・食品学・衛生学・教育学・児童学・心理学・保育学・表現学・教養学等々に関わる知と技法を創造すると共に、これらに関わる情報を鎌倉から社会に発信しています。
緑におおわれた全てのキャンパスは、鎌倉固有の生態系を残した東山の自然と世界の芸術が楽しめる鎌倉芸術館に囲まれた、もっぱら大学・短期大学部が活用する大船キャンパス、松本講堂の他、グラウンド、大・小体育館・室内温水プール、弓道場(至藝館)といった各種体育施設をもった、主として幼稚部・初等部・中等部・高等部が使用する岩瀬キャンパス、鎌倉文化発祥の地・二階堂の鬱蒼とした杜に囲まれ、外の緑と光をたっぷりと室内に取り込んだ松本尚メモリアルホールをもつ二階堂学舎、北鎌倉の数寄を凝らした茶室と日本庭園をもつ山ノ内学舎と、総面積約128,000平方メートルに及び、古都全域に落ち着いて学園生活に打ち込むにふさわしい無言の教育的雰囲気を醸し出しています。
グローバリゼーションという言葉に窺えるように、21世紀は、文明の衝突が起こり、文化が多元化し、新しい知識・情報・技術・価値が登場すると同時に、これまで培ってきた全てのものが揺らぎ、あるいは崩れる可能性を孕んだ世紀になるでしょう。生産と消費が瞬く間に繰り返される時代にあって、人々は、時として生きる目的や自信を見失う危険に晒されることにもなりましょう。その危険は、将来について未決定状態におかれ、多感な心情に駆られ、揺れ動く青少年こそ一層大きいといわなければなりません。
人間の成長する過程には、さまざまなことが待ち受けています。人には、時として逡巡もあれば、挫折もあります。しかしまた、人は、希望を湧き立たせ、再び歩み出し、新たな課題に立ち向かう力をもっています。カントは、「人間は、ただ教育によって人間と成ることができる。」といいました。鎌倉女子大学は、学園全体が園児・児童・生徒・学生の成長過程と注意深く共に歩む、師弟同行に基づく一貫教育によって、一人一人が生きる目的と揺るぎない価値を見出し、逞しく人生を生きぬくことのできるよう、知と心を磨く力強い教育の実現を願っています。
理事長福井 一光